メインコンテンツに移動

【講演レポート】どんな場所でも医療の提供を―事例で学ぶ「医療MaaS」の最前線と薬局にできること

2026年9月2日掲載

地方の公共交通の衰退や医療職の偏在により、患者の通院が困難になる中、地域医療をどのように維持していくべきかという漠然とした不安が、多くの自治体や医療機関、そして調剤薬局に広がっています。そうした中、次世代の社会インフラとして注目を集めているのが、医療機能が患者の生活動線に出向く「医療MaaS」です。

本記事では、MONET Technologiesで医療MaaSを推進する加藤が、薬局、薬剤師を対象にした「第174回HSEセミナー」の中で語った講演内容をもとに、全国で進む医療MaaSの実証事例と薬局のこれからをひもといていきます。


登壇する加藤氏
登壇者紹介:MONET Technologies株式会社 事業開発部 サービス統括部長 加藤 卓己

なぜ今、医療MaaSが必要なのか?(背景と課題)

マクロなデータを見ると、高齢者の運転免許の自主返納者は年間30〜40万人規模で推移しています。また、65歳以上の高齢者の4人に1人は「500m以上を休まずに歩けない」というデータもあります。一方で、地域の足となるはずの路線バス事業者はその70%以上が赤字で運行しており、2030年度にはバスの運転手が3.6万人不足すると推計されるなど、地方の公共交通インフラは崩壊の危機に直面しています。


同時に、医療を提供する側の負担も増大しています。在宅医療の需要は2009年比で約3.5倍に増加しており、1人の患者を診るために医師が長時間の移動を強いられています。開業医の平均年齢が60歳を超える中、80代の医師が自ら山道を運転して訪問診療に向かう事例もあるなど、移動負担が医師の診療キャパシティを大きく圧迫しているのが実態です。


こうした「移動の課題」を解決するために誕生したのがMONET Technologiesが推進する「医療MaaS」です。医療MaaSは、単なる「オンライン診療用の車」ではありません。「医療サービスとモビリティを融合することで、場所の制約を超えた新たな選択肢を創出し、社会課題を解決するプラットフォーム」として、新しいインフラの構築を目指しています。


事例で学ぶ医療MaaSの最前線

医療MaaSを地域に実装していく過程で、医療機能が患者の生活動線に「出向く」ことで、これまで病院に行けなかった人々の潜在的なニーズを拾い上げられることが分かってきました。講演では、全国の実証実験の中から特徴的な事例が紹介されました。

●慢性疾患の「治療中断ゼロ」実現と、潜在ニーズへの拡大(長野県伊那市)

2019年に長野県伊那市でスタートした「モバイルクリニック事業」は、オンライン診療の機材を搭載した専用車両に看護師が同乗し、患者の自宅の玄関先まで訪問する仕組みです。この事業は、地域特有の2つの深刻な顕在課題からスタートしました。

「伊那市は東京都23区より広いエリアを抱えています。公共交通を維持していくのはすごく難しく、ヒアリングすると付き添いの家族の負担もかかっていて高齢者の通院課題が顕在化している。もう1つが、訪問診療に忙殺される医師不足です。実証開始時点の2019年では長野県下でも3番目に医師が少ないエリアで、移動に2時間かけて2~3人診られればまだいいといった状況でした」(加藤)

通院が困難な高齢者(慢性疾患)と、移動に忙殺される医師の双方を救うために始まったこの事業ですが、慢性疾患の継続治療において驚くべき成果を上げています。糖尿病などの慢性疾患は、通院の「面倒くささ」などから約20%の患者が治療を中断してしまう課題がありますが、医療が自ら出向くことでそのハードルを取り払ったのです。

「面白いのは、モバイルクリニックを使っている患者さんで、私が知っている限り途中でドロップ(治療中断)した患者さんがいないんです。対面に戻る方が1割程度いますがで、途中で治療をやめるという患者さんが基本的にはいなかったのです」(加藤)

このように高齢者の治療中断を防ぐ大きな成果を上げる一方で、運行データを分析すると意外な「潜在ニーズ」も見えてきました。モバイルクリニックの利用者は必ずしもへき地に住んでいるわけではなく、半数以上が駅周辺の中心部に集まっていたのです。

「決して物理的な距離が遠いからこういうサービスが必要というわけではなくて、社会的に置かれた状況とかによって、居住地関係なくこういうサービスが必要なんだということがよく分かりました」(加藤)

これを機に、自ら車を運転して通院するのが負担な妊産婦向けの「妊産婦健診」へと対象を拡大しました。自宅前に来る車両に家族も一緒に乗り込み、揃ってモニターでエコー画像を見ることで「家族で新しい命を迎える一体感」が生まれるなど、来院時以上の体験価値を提供しています。


長野県伊那市の導入事例を見る

●「車だからこそ」無自覚の患者を救えた眼科スクリーニング(茨城県境町)

緑内障などに代表される目の病気は、初期の自覚症状がほとんど痛みを伴いません。そのため、「最近目が見づらくなった」と患者自身が気づいて病院へ行った時には、すでに症状がかなり進行してしまっているという深刻な課題があります。 そこで境町では、眼科の検査機器を搭載したMaaS車両を展開しました。車内で目の写真(前眼部写真)を撮影し、それを専門機関が遠隔で読影します。その結果を自治体に通知し、要判定となった住民に対して町の保健師が受診勧奨を行うというスキームを構築したのです。


この実証の成果は、非常に具体的かつ劇的なものでした。加藤はその数値を次のように語ります。

「20日間車を動かして、約200人弱の方に目の写真を撮っていただくことができました。要判定を受けた方が81人いらっしゃいました。この81人の方に、境町の保健師から受診勧奨をしていただいて、実際に眼科を受診いただいた方が35人で、何かしらの診断を受けた方が30名ということで、この30名の方は全く自覚症状がなかったんですね。視野が狭くなっていくリスクを早めにピックアップできたというのは、非常に大きな成果だと思っています」(加藤)

この圧倒的な成果を生み出した最大の要因は、「車だからできた」というモビリティならではの機動力にあります。もし固定の公民館で「目の検査をやります」と待っていても、自覚症状のない人はわざわざ集まりません。しかし車であれば、午前中は高齢者が集まる場所にピンポイントで移動し、午後はスーパーの駐車場に移動するといったように、時間帯や人の流れに合わせて柔軟に展開場所を変えることができます。

効率よく検査件数を積み重ね、自覚症状のない患者を早期にピックアップする。まさに医療MaaSの機動力が、予防医療のブレイクスルーとなった事例と言えます。

茨城県境町の導入事例を見る

医療は進歩しても「薬」はアナログ?現場の痛みに寄り添う服薬指導の形

医療の高度化とモビリティの融合が進む一方で、調剤薬局の視点に立つと「最終的な医薬品の供給はまだアナログなまま」という課題が残されています。

患者の利便性を考えれば、MaaS車両内で診療からオンライン服薬指導まで「一気通貫」で行うのが理想的です。しかし実際の現場では、処方監査や調剤、疑義照会などに20〜50分かかり、車両を待機させてしまうため運用効率が著しく落ちてしまいます。運用効率以外にも安全な医療提供における医薬分業の原則を守り、診察→診断→処方→服薬指導とつなぐには大きなハードルがあり、このハードルがなかなかクリアできない現実を抱えてました。

そんな中、過去の事例として一包化が必要な患者への活用があり報告されてます。

「いつもだったら一包化に1時間半ぐらいかかり、その間薬剤師が1人取られてしまう。外来の患者さんも来る中で、一包化の患者さんを1時間半待たせるプレッシャーもあるし、他の患者さんも余分に待たせてしまう。やはり張り詰める空気の中で働かなきゃいけないみたいなことですね」(加藤)

そこで薬局がとった行動が、診療と服薬指導の「分離」でした。当日は処方箋だけを受け取って患者には帰宅してもらい、当日の「空いた時間」を使って一包化を実施。そして翌日MaaS車両を出動させ、服薬指導と薬のお渡しを行ったのです。これにより患者の待ち時間はゼロになり、薬剤師も一包化に掛かる時間的プレッシャーから完全に解放されました。

「どうしても診療と服薬はセットなので一気通貫でつなげようと考えがちですが、そうではない。保険薬局の皆さんには保険薬局の課題がある。そこに寄り添っていかないと、MaaSを活用した新しい服薬のモデルはできないんだろうと思っています」(加藤)

医療がどれだけ進歩しても「薬という実物をどう届けるか」という課題は最後まで残ります。そして、現場の薬剤師の負担をどう軽減するかは現在進行形の課題です。 無理に「一気通貫」の理想を押し付けるのではなく、現場の痛みに寄り添いながら、地域とコミュニケーションを取って新しい運用フロー(服薬のモデル)を模索していく時期に、今まさに来ていると言えるでしょう。

おわりに:医療MaaSが変える地域医療と、薬局のこれから

人口減少や医師の偏在が進む日本において、「医療MaaS」はへき地医療の1ツールになっていくでしょう。

しかし、医療がどれだけ進化しても「薬という実物をどう届けるか」という課題は最後まで残ります。 まずは自地域の最新事例を知り、未来の医療の形を理解することから始めてみてはいかがでしょうか。